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裁判は両者にとってフェアであるべき

 

裁判は両者にとってフェアであるべき

 

罪を憎んで人を憎まずという言葉がありますが、実際に行うのは難しいですね。時々報じられる裁判のニュースを見聞きするたびにそう思います。裁判は毎日のように行われていて、ニュースにならなくても、裁判の数だけきっと人間模様があるのでしょうね。

 

重大事件の裁判で弁護士が言うこと

重大事件が起こるとその裁判の様子がニュースになります。お約束のように弁護側が主張するのは、容疑者の生い立ちが不幸であったことです。その容疑者の年齢が若いほどその傾向は強く、「こんな不幸な生い立ちで、親からの愛情を受けずに育ったために人格を形成することができなかった。そのため情状酌量をして欲しい。」確かに親の愛情に恵まれなかった子供はいるでしょう。しかし、親と死別してしまっても、施設で育っても、まっすぐに育った人はたくさんいます。子供は愛されて育てられる必要がありますが、それは親からでないといけないわけではありません。この点を間違う人が多い気がします。
「では被害者の生い立ちは確認しましたか?」
弁護士がそこまで容疑者の生い立ちや家族構成にまで考えを及ばすのであれば、被害者の生い立ちや家族構成にまで目を向けるべきです。容疑者は被害者のみならず、その家族や友人、知人をも傷つけ、被害者の未来や将来の夢や希望を奪ったということをきちんと理解する必要があると思います。それを踏まえたうえで、容疑者の生い立ちを論じないとフェアではないと思います。被害者の家族は家族を傷つけられたり、失ったりする悲しみだけでなく、警察からあれこれ聞かれ、時として容疑者ではないかと疑われたりします。二重三重に傷ついているのですから。